お弁当の思い出
私は、幼稚園の頃母親がお弁当をつくって持たせてくれていて、その日は海苔巻きでした。
海苔巻き大好きだったので、すごく喜んで食べていたのですが、悲しいことに、手を滑らせて一つ落としてしまいました。
仕方なく、それをお弁当箱に入れて持って帰って、母親にごちそうさま、って渡すと、母親は「一つ残ってるじゃない」と言ってパクッと食べちゃったのです。。
「お、お母さんそれは、、、」と思ったのですが、幼いながらもそこは黙っていました。その後も健康そうだったので良かったです。
みなさんの思い出があったら、ぜひ聞かせてください。
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高校の時
母に作ってもらったある日のお弁当はケチャップごはんが敷き詰められた上に卵をかぶせたオムライス弁当でした(*^^*)
そこまではよかったのですが…そのオムライスの上には星形に抜かれた人参が3枚(笑)
友達と一緒に食べていたので、恥ずかしくて最初に人参だけをパクパクと一気に食べたのですが、数時間押し付けられていた人参の跡がキレイに卵の上に残っていたので、結局友達たちにもバレてしまい…母の愛は嬉しかったのですが、やっぱり恥ずかしかったので、10年経った今でも覚えています(^◇^;) -
休憩で飲む冷た~い麦茶?
小学生の時の遠足にて
うちの母は同級生の親と比べると年齢が上だったので、おかずは煮物系だったり
・・可愛くおにぎりをしてくれたり・・味はおいしいけど見た目が・・
よく周りの子のお弁当が羨ましかったのを覚えてます。
その遠足での出来事ですが、水筒にはギンギンに冷えた麦茶を持っていくのが当たり前で、友達と飲みあいっこしたり氷が残っているとラッキーみたいな。
いざ、休憩に入りまずは麦茶を(#^.^#)
「・・うん??」
何か違う・・
キャ``ー!!!!これは麦茶じゃなく、めんつゆじゃないか(汗)
なぜ??なぜなの?
我慢して飲むももどが乾き友達にもらうに私も頂戴と言われ、めんつゆとは言えず
家にかえり「お母さん、これ麦茶じゃない!!」っとはなすと「わはははー」
当時は夏でしたので、姉が麺がすぐ食べれるようにとめんつゆを作っていたらしく母はそれを麦茶と間違えたようです。
めんつゆの作り置きには十分注意をしましょう。
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ジャムサンド弁当
幼稚園の時、私冷たいご飯が食べれませんでした。
なんか冷たいと気持悪くなっちゃって・・
で、一口も食べない、ある時は母親が顔を海苔でキャラ弁みたいにしてくれて、
でも口の部分のしゃけを一口入れただけ・・・
それで毎日パン弁当を持ってくようになって・・
サンドイッチなんて当時は流行ってなくて、卵サンドやハムサンドでなく、
毎日ジャムをはさんだジャムサンドイッチでした。
冬は温めてくれるサービスがあって、ご飯でも大丈夫だった。
冷たいご飯が食べれるようになったのは、いつからだったか???
中学の時は体育祭で、皆さんと同じように、
クラスメイトのお洒落なお弁当うらやましい♪もあったけど・・
でも自分にとっては、幼稚園のジャムサンド弁当、
やっぱり他にはいませんよね?こんな子・・・
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ドカベン
私が中学に入学し、初日のお弁当の日…。
私用のお弁当箱を買い忘れた母がなんと父の古いお弁当箱でお弁当を!!!
女の子たちが可愛らしい小さなお弁当を広げてる中、私はでっかい(平たい)お弁当箱…。
体も小さい私が不恰好なデカ弁を持ってきたのを見た周りの男子につけられたあだ名はドカベン。
しかも車の運転が出来ない母はお弁当箱を買い物に行けないからとそのお弁当箱、一週間も持たされました。
当然食べきれる量でもなく、行きも帰りも重たかったな~。
また兄は高校に入ってからお小遣いをもらうたびにお弁当を丸ごと残して帰ってくる、を繰り返し、腹を立てた母に日の丸(ご飯の上に梅干し一個だけ!)弁当を持たされ、ドカベンとしばらく呼ばれたそうです。
兄弟揃って豪快な母のお蔭でドカベンのあだ名をつけられた事を思い出しました。
(一応、大人になってから母に謝られましたケド~)
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バンダナを開けたら…
小学校、中学校と給食で、高校は部活の朝練で毎日5時に家を出ていたので、
お弁当を持って行くことがあまりありませんでした。
でも、中学の部活の試合でお弁当を持って行くときがあり、
いつもはおいしい母のお弁当ですが、
よっぽど時間がなかったのか、バンダナをほどくとそこには…
近所のおいしいサンドイッチ屋さんの、サンドイッチがどーーーん。
三角のサンドイッチを互い違いに置いて、四角くして包んでいたので、
ほどくまで全然分かりませんでした。
私は思わず
「うわ!!!なんだコレ!??」と叫び、
サンドイッチもおいしく、笑いも取れて二度おいしい、みたいな。(笑)
家に帰って早速母に話すと、
『バンダナに包むとお弁当だと思ったでしょ?」と
ナゼか得意げ…
いまだにその話題で笑い合うことがあります(^^) -
お弁当
私の母は、あまり手の込んだ料理が出来ない人で
お弁当のおかずは1.2品位しか入っていませんでした
仕事をしながら3人の子育てに追われて大変だったと思いますが
彩りの良いおかずに、デザートのフルーツ付きの友人弁当は羨ましかったです。
小学生の時にお弁当のおかずのリクエストを聞かれ
ウインナーが入っていれば良いと答えると
本当にウインナーのケチャップ炒めしか入ってない事がありました。
また高校生の時には「たくあん」が入っていて
あまりの恥ずかしさに誰にも気が付かれないように
2階だった教室の窓から捨てた記憶があります(^-^;)
とにかく「これが美味しかった」などという思い出が無いです。
その反動か、自分の息子には毎回キャラ弁とデザートのフルーツを持たせていたのですが
中学生になった途端、キャラ弁&デザート拒否されてしまい
今は何とも色気の無い巨大弁当を作っています。
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20年たっても
母のお弁当メニューで苦手だったのは、ピーマンとジャコのきんぴら。
結構高確率で入ってるけど、実はあんまり好きじゃなかった。
でも、文句を言わずに食べていた。
最近、私の長女は模試などで会場に近い実家に泊まって、母のお弁当を持たせてもらうことが増えたのだけど、
やっぱり、ピーマンとジャコのきんぴらが入れてあるらしい。
私の娘も文句を言わずに平らげてるそう。
母は「これ、¥○○(娘)ちゃんのママも好きだったのよ」と言ってたそうなので、
その誤解は解かずにおこうと思う。
娘も、おばあちゃんのお弁当を食べるたびに、ピーマンのきんぴらを食べるがいいさ!と思っている。
ま、こういう誤解も、家庭平和のためには必要だと思うのです。
長女はちょっと、遠慮して物を言うべきと言う事も、付け加えたい。 -
反抗期
中学生の時のオススメ弁当は、日の丸弁当で~す。
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とってもいいことですね!
>ピースさん
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すり替わったお弁当
今から20年前の話
その日は体育祭で、弁当をカバンに入れておくと腐ってしまうため、屋根付きの涼しい日陰に全員が置くことになりました。
昼休憩になり、弁当を持って自分の席に着きました。
蓋を開けてみると、いつもとすこし違う中身でした、(体育祭だから、気合を入れて作ってくれたのかな?)と思い、おいしくいただきました。
そして、体育祭が終わり、家に帰って母親に弁当を洗ってもらうため手渡すと、「えっ⁉︎」と言われました。
何か問題があったかと聞くと、我が家のお弁当箱ではないと言うのです。
そう、まさかの、ケースが同じの他人の弁当を食べていたのです。
母親は「こんなこともあるんだね」と言って叱ることもありませんでした。
しかし、僕としてはせっかく自分のために作ってくれたお弁当を自分が食べることなく、他人が食べてしまったことがとても申し訳なかったです。
(完全に僕の過失なのですが...)
それからはしっかりと弁当箱を確認するようになりました。
あの時はお母さんごめんね -
えびフライと卵焼き
三日に1回は入ってました。
朝から揚げ物してくれていたのですね。
ほんとにフライは多かったです。
女の子のお弁当だから量はさほどではなかったけど,大変だったと思います。
さらに溯って幼稚園のころですが苦手だった『ふきの煮物』が入っていて,いのこりさせられ食べるまで先生とにらめっこでした。
友達のお弁当箱に牛乳とコーンフレークとスプーンが入っているのを見て大笑いした記憶があります。
『ダイエット?』と聴きましたが,お母さんのバカ~!と言っていました。 -
お弁当箱に入っていればOK?
転校した中学のときのこと。
遠足のおやつ代が200円(もう30数数年前)だと母に話したところ、当日の朝、なぜかお弁当箱が3つ。
1つは普通のお弁当、1つはカットフルーツ、最後の1つにはおやつが入ってました。
母曰く「お弁当箱に入ってるから、お弁当よ」とのこと。
子供ながらに疑問を抱えつつも、3つのお弁当箱を持参し、友人達と一緒に食べました。 -
朝用と昼用 2個持参
高校2年の時、
中高と、日本一に何度もなったという女の先生が転入、
しかも我々の部活の顧問に・・・
毎日、朝練あり、部活が始まった。もちろん休日なし、
遅刻厳禁、1分でも遅れたら 真夏の炎天下でも校庭5周。
「風邪でも学校に来て、マスクをして見学しなさい」鬼か!
元々、朝が弱いし、色気も出て毎朝シャンプー、
朝食を食べる時間なんてあるはずない、
朝練後に食べるお弁当も持参、
大変だったけど、しごかれたおかげで1ヵ月で7キロも痩せました。
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間違えたお弁当
高校の体育祭のときのこと。
中学で体育祭がなく、豪華なお弁当を作る機会を奪われた母が、巻き寿司やら色々作ってくれました。
朝、中位のと大きいお弁当箱が置いてあったので中位のを持っていきました。
予想外に周囲は普通のお弁当で、「なんでそんなに豪華なの?」と特に巻き寿司が浮きまくり。
みんなで分けて食べました。
家に帰ると、
「お弁当箱、間違えて持って行ったでしょ!」と母から言われました。
母曰く、私が持っていったお弁当箱の方は自分用(体育祭を見に行く)の質素なお弁当だったらしく、非常に残念がってました。
友人のお母さんがお弁当を持ってきていなかったので2人で分けて食べたそうです。
母の予定通りのお弁当を持って行っていれもっと恥ずかしい思いをしたと思うと、母に悪いと思いながらも内心安堵しました。 -
とある気合の入った日に
中学生の頃に、どうしてもお弁当を作りたくなって、当時高校生だった姉のお弁当を作りました。
自画自賛する位には素敵な見た目のお弁当になり、鼻の穴を膨らませて姉に渡しました。
おにぎりは、数種類のふりかけで色とりどりに、手毬のように細く切った海苔を巻いた自信作でしたが、
どうも、砂糖を手に付けて握ったらしいんですよね。
おにぎりだけ残して帰ってきた姉に理由をしつこくしつこく聞いたら、しぶしぶ白状してくれました。
他のおかずは美味しかったとフォローしてくれる優しさも、辛いだけでした。
お姉ちゃん。その節はごめんね。
今でもおにぎりを握る前には、砂糖か塩か指差し確認の上、Wチェックです。 -
お弁当作るのが好きな母
高校は毎日お弁当持ちでした
いつも彩豊かで朝から揚げ物もしてくれて美味しそうなお弁当で、友人には羨ましがられました
中でもいつもリクエストしたのがシャケの俵握りに卵と海苔の服着せたおにぎり
当時は毎朝早くから作る大変さがわからず、パンがいいとか、イチゴは入れないでとか文句ばかり言っていたなぁ
自分が母となり作る立場になって身に沁みる思いです
男のが母思いかな
高校を退学になった弟が言ったセリフは『おかぁゴメン、もう大好きな弁当作ってもらえない』
そんな母は今のキャラ弁時代が羨ましいそう
譲るから是非孫の為に作ってあげて〜 -
自分で作ってたお弁当
私は事情があって小四から祖父母との3人暮らしでした。 子供の頃は祖母の作る煮物などの料理が苦手だったのでその頃から遠足でも運動会でもお弁当は自分で作ってました。 小中学の頃はお弁当作りもたまにだったので楽しかったのですが…高校に入ると毎日のお弁当作りが面倒になり(^_^;) 白いご飯と味付けめかぶとか、白いご飯と生卵と納豆とか持って行ってました! いまだに友人には思い出話として笑われます(笑) 夏場にご飯の上にツナマヨをぶっかけて持って行ったときは…蓋を開けた瞬間にダメだ!と思って購買でパンを買いました…腐ってたのです(T_T)
今、お腹に子供を授かって『10数年後の毎日のお弁当作り大丈夫かな』と思いながら、クックパッドで作り置きお弁当おかずなどを検索させてもらってます(笑) -
お弁当は今年から自分で作ってます。
二年前に両親が離婚し、母が本格的に仕事をし始めたので、私のお弁当はいつもレトルトのスープでした。具がないし、添加物の味もするため、今年から自分で作るようになりました。私は、冷凍食品とかレトルトのものが苦手なので、すごく大変で母はよく冷凍食品なしで、毎日私のお弁当を作っていたなぁと今、とても感心します。今年の夏休み明けぐらいに一度だけ、母が久しぶりにお弁当を作ってくれました。前まで当たり前に食べてた味だけど、すごく美味しくて本当に感動しました。いつかこの味に近づけるように頑張りたいです笑!
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私の母は料理嫌いでした。
お弁当もロールパンにツナマヨと卵マヨ、またはレトルトハンバーグを
挟んだ物でした。(遠足はいつもこれ)
普段のお弁当は友達のはたこさんウィンナーとかだったのに
茶系の見た目の地味なお弁当。
でも今年亡くなってしまったので今ではいい思い出です。
お母さんありがとう。 -
母親は料理が苦手。でも自分ではとても上手と思っています。世に言う千キャベツなんか、母親に切らせたら百キャベツです。その百もつながっていたり。
そんな母親の作る弁当はいつも同じでした。おにぎり二個(これもまともに三角に握れずつぶれた丸)にチューリップからあげ、赤いウインナー、缶詰めのみかん。毎回同じです。そして一番うれしいはずの缶みかん、、、
母は汁が出るからと言い、自分の口に入れてチューチュー汁を吸い、ペッと出したみかんを弁当に入れるんです。虐待されていた私はもちろんなにも言うこともできず耐えました。当然おにぎりもからあげも全部激まずだったのは言うまでもありません(T_T)
