シンデレラストーリーを聞かせてください。
匿名の中での話ですので、大いにに自慢しちゃってください!!
私は、シンデレラにはなっていませんが学生時代に留学生できていた彼になぜだか一目惚れをしてしまいました。
彼は苦学生で、ほんの少しのアルバイトを片言の日本語で頑張りながら生活をしていました。実家もとっても貧乏で頼ることはできないようでした。
私は何とか力になりたくて奨学金では足りない学費の援助もしていました。
大学3年の時に、子供ができたので結婚しました。当然貧乏ですので、私の実家で暮らさせてもらっていました。
日本の企業に就職した夫は、やがて独立心が芽生え自国に帰って起業すると言い出しました。ほんの僅かな資金で、3人で行きました。そうです、もうこちらの国で暮らすわけです。
こちらにきて、5年の月日が流れ今では相当数の社員さんを抱え、たくさんの事業業態で忙しいながら楽しそうに仕事をしています。
こんなに幸せで、なに不自由なく暮らせる今はありがたいことです。
長々とご覧頂きありがとうございます。
最新の発言12件 (全12件)
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私の仲の良い友達の話です...
背の高いハンサムで高収入、あの頃で言う3高(?)の素敵な青年と恋に落ち結婚しました。友達の中で一番早く皆んなが羨むものでした。
間も無く可愛い女の子を授かり…と思ったら突如離婚する事になりました。
そこからの彼女の人生はどん底です。
乳飲み子を抱えて雇ってくれる会社など中々見つからず、やっと雇ってくれた会社は小さく賃金も安く…
一つだけ救われたのは、その会社は女社長で彼女の身の上を案じその幼子を仕事場へ連れて来ていいと言ってもらえました。
贅沢できるお給料もらえた訳ではないみたいですが、子供を連れて行かせてもらえたのはとても助かったそうです。
彼女はその女社長の恩に報いるべく、又同僚に迷惑をかけている分、子供を連れたまま大残業をし、一生懸命働きました。
そんな母親を見て育ったからでしょうか…その娘は頭の良い心身ともに美しい素敵な孝行娘に育ちました。
今は結婚して子供もでき幸せに暮らしているそうです。
一方、母親である私の友達…
娘が中学生の時に年下の優しい男性と出会い、娘共々養ってもらい、今は二人で趣味の大型バイクで日本中旅して回って人生楽しんでいます♪
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見る目があった?
イケメン&センスの良さそうな人ばかり恋愛対象にしていた私ですが、大学生の頃知り合った一人の男の子、どこか垢抜けない素朴な人。今までの男の子とタイプがぜんぜん違って新鮮でした。デートも海辺のお洒落な店じゃなく、すき家とマクドナルド(笑)、お付き合いが続き大学卒業後に結婚。
就職した彼は真面目に頑張り、偉い人に気に入られ、あれよという間に大出世。たったの数年でお給料は初めの3、4倍くらいに!
今は自宅のマンションでワインを飲みながら夜景を楽しむのが日課。
部屋が広く新婚の貧乏な時に買ったラグが座布団のように見えます。
子宝にも恵まれ、夫も良き父であり良き夫。お酒も程々、ギャンブルも無縁、風俗も嫌いです。
キャバクラなどは仕事の付き合いならどうぞをと言えば、それを利用しなければ出来ないしょうもない仕事は必要ないと言い切りました。
お金の事もクリアにしてくれています。
夫の両親も嫁姑問題とは無縁の素晴らしい人。
外側だけの男の子に惑わされなくて良かった -
ビビビッと来たあの日に感謝
私は流されやすく今まで思いっきり遊んできてしまいました。将来の事なんて考えず今が楽しければそれでいい…と。
当時付き合っていた男性に二股をかけられ友達を通じて別れを告げられました。
ある19歳のとき、大失恋をした私は友達のススメでコンパニオンのお仕事を手伝う事になりました。
そこで挨拶をしてパッと前をみた時、何十人といる宴会の席で一人の男の人を見たとき頭にビビビッと電気が走りました。
その瞬間、名前もわからないその男性の事を好きになり私はこの人と多分ずっと一緒に居るだろうな。と確信に近いものを感じました。
その予感はまさに的中し、5年半の交際を経て今は旦那様です。
自営をしていて2000万近い年収で不自由なく暮らさせてもらっています。
ただ旦那の仕事が忙しすぎるのでもう少し落ちついてほしいな。
9月にはハワイへ行くのでゆっくり休んでほしいです。
私が大失恋した元彼は私と別れた後、ひょんな事から逮捕され前科持ち。
今では私を裏切ってくれてありがとう!と心から思います。
そしてビビビッと来た自分にびっくりです。
あの日旦那に会えなかったら自分はどんな人生だっただろう…と思うと怖いです。
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初恋実った!!☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
シンデレラ=お金もち❓
でも、わたしの場合は、幼い時から夢見てたのは、
大好きな人=王子様。
彼は、普通だと言います。〈お金もち❓普通。イケメン❓普通〉
彼は、幼ななじみ。
わたしの家は、生活も苦しかった。
自宅が、あまりに古いのと、複雑な家庭で、近所からずっと白い目で見られてきました。
子供の自分にどうする事も出来なく、
そんなわたしが、願ったのが、王子様。
それから7年して、彼に会う事が出来ました。
一年ぐらい交際してましたが、未来を考えた時に、自分は彼にふさわしくないと思い、別れてしまいました。
それから彼は、良い大学、良い会社に入ったと噂では、聞いてました
でも、彼は、しばらくして会社を辞めました。
今まで、
世間体を、すごく気にする親と、
自分の目標、自分の望み❓を考えた時に、わたしが何度も出てきて、
別れて10年以上たっても、
やっぱり忘れられなかったと…
初めて、自分の気持ちを友人に打ち明けた彼は、
彼の幼なじみと、わたしの友達で、
〈お見合い企画〉をしてくれました。
当日まで、お見合いの相手が分からない事と、〈なんか変だなぁ、、〉と、
思いながら、、、
〈⁈〉
スーツ姿で、13年ぶりに再会しました。
凄く、びっくりしたのと嬉しいのとで、、、
彼は、最初から、わたしとのお見合いを知っていたので、
今日、プロポーズすると決めてくれていたそうです。
お見合いの日に、婚約するとは思わなかったけど、そんな企画をしてくれた、友人や、
こんなわたしをずっと好きでいてくれた彼に感謝で、、、
今は、彼は、新しい仕事を、しています。
来年産まれてくる赤ちゃんを、すごく楽しみにしています。
これが、わたしのシンデレラストーリーになります。(^O^)
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シンデレラかどうか?ですが。
英語やその他外国語が大の苦手で、引っ込み思案な自分ですが、夫のおかげで海外に住んだり旅したり。
人生が180度変わりました(^^)
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学生時代に・・・
専門学校の研修旅行に行った話ですが・・・大阪へ行ったときに同じ班の子が別の班に着いて行ったため、悪知恵を使い何事もなく遠目から「バイバイ!おまえなんか居なくても・・」と心のささやきをつぶやいたこと。
もう一つは・・結婚したときに旦那さんの兄・姉夫婦二人に親戚一同が私に話しかけてくれたこと。姑が亡くなった後に旦那さんの父方のおじさんの嫁に「よく頑張ったね?」と
言われたことかな~?唯一の内嫁で二男の嫁だけど・・・ -
一瞬だけでしたが。
仕事で特別にフランスへ行けたこと。
27才の転職で新設のイベント施設のナレーションコンパニオンの入社試験、1000人の中の採用13人に選ばれたこと。
ラジオのパーソナリティに合格したことがある。
25才から次々にいいことがありましたが、29才で結婚を機会にダメダメ人間に後戻り。
一瞬のシンデレラでした
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シンデレラストーリー。
はじめまして。
私は26歳の最近結婚式を挙げた新米主婦です。
わたしの旦那様は、私が一目惚れした方です。
私はごく普通ーの家庭に育った、保育士をしてます。
旦那様は、おじいさまから続く兄弟全員、代々医師の家庭で育った いわゆるおぼっちゃま育ちの医師をしてます。
出会いは患者と主治医。
かっこいいなぁ…?と心で思っていて
でも、そこでは特に個人的な接点はなかったものの、後々知ったのですが、共通の知り合いがいました。
もう通わなくなってから、当時の彼は遠い地方へ転勤になり、二度と会わないだろうという環境の中…
いろーんなタイミングが重なって、再会する機会がありました。
その時はお互いに恋人とは別れていて独り身。
なんとその時(二年後)に再会して、そこからお付き合いして約一年半で結婚しました。
立場もちがければ、育った環境も違う
憧れの人だったので、
結婚した今でも
シンデレラストーリーだなぁ、、と思います。 -
シングルママでで子どもたちを育てました。良い子たちに育ってくれ、特に離婚してからは親子で一緒に沢山の事をしました。スポーツや習い事も出来る事は一緒に楽しみました。今、子どもたちは成人し、それぞれ頑張って生活しています。
子どもが小さい頃からの習い事で知り合ったお友達の友人が海外の方でした。私は今その方と再婚して海外に住んでいます。子どもたちにも祝福されて送り出してもらえました。こんな人生が訪れるなんて思いもしませんでした。 -
中学の部活の大会
中学の部活で卓球部に所属していました。
うちの部は弱小で、人数も少なく、ちょうど団体戦に出れる人数しかいなかった。
強くても弱くてもレギュラーメンバー。
レギュラー争いはなかった。
いつも団体戦では市内で一回戦に勝つか負けるかレベル。
しかし突然、何故か市内の次に大きい大会でまさかの団体戦優勝。
部活人生で最初で最後の表彰状を頂きました。 -
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都営団地で育った私
核家族で保護者は両親のみ。その実母に小さな頃からイジメ抜かれ、私の心に打撃を与える為だけに年子の弟をひいきして目の前で弟の全てを受け入れる。
小学校に上がっても友達と遊ばせてくれず宿題もさせてくれず学校で必要な持ち物も買ってくれない。具合が悪くなったり歯が痛くなっても病院にも連れて行ってはくれない心細い日々。
そして家事も押し付けられる。やらなければ折檻。毎日毎日生きてるのがつらかった。
社会人になったらお給料は一旦全額没収されてその中から交通費手当と1万円をくれるのみ。
その頃には弟はすっかり母の手下みたいになっており家にいてもつらかった。父も夜遅い帰宅で母の天下。
ある日、私のした些細なミスを親子でまた力いっぱい責めてきて、我慢の限界を感じた翌日また母にサンドバッグにされ、思わずセカンドバッグ1つで家を飛び出した。
たまたま一人暮らしした区で、会社経営をしていた今の夫と出会い、それまで家族に大切にされないつらい人生ばかりを送っていた私にしたら夢のような人生になりました。
そういった精神的な事もさることながら、金銭面も180℃変わりました。
欲しい物はおろか必要な物も買ってもらえなかった惨めな子供時代から、お金に困らないどころかこんな暮らしをしてる人達が世の中にいるの???と思える生活水準に。
今では、3人の子、4人の孫のおじいちゃんおばあちゃんになりました。
どんな時もグレたりせずに、人生を投げ出さずに、真面目に前を向いて生きてきてよかったなぁと思える人生を生きています。
