最新の発言20件 (全32件)
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戦前生まれの父が...
戦前生まれの父は「男子、厨房に入らず」と教えられて育った人で、普段は全く料理せずでしたが、母が出張で不在の時はご飯を作ってくれました。
いつもメニューは一緒で、ご飯 目玉焼き お味噌汁、これに時々さんまのかば焼きの缶詰が付きました。
母がいりこだしで味噌汁を作り、目玉焼きにはお醤油だったのに対し、父はかつおだし(鍋にかつおパックを放り込んだだけ...)で味噌汁を作り、目玉焼きにはとんかつソースでした。セリフはいつも「おいしいか?」ではなく、「おいしいやろうがっ!」でした。
保育園児だった当時、妹と二人で「うん、おいしい♪」と言って食べてました。
かつおだしととんかつソースが新鮮だったのも理由ですが、確かにおいしかったです。
普段ほとんど缶詰は買いませんが、さんまのかば焼きは今でも時々買って食べてます。 -
狩猟
父の趣味でしたが、2年まえに旅立ってしまいました。そこでとってくる
きじ料理がすきでした。今は伐採がおおく、きじもいません。
思い出の味っておぼえてるものなのですね。 -
大好きだった父の角煮
父は食べることも料理も大好きな人でした。
中でも豚の角煮は特別で、実家に帰る時には必ず作ってくれ、子供達も大好きでした。
昨年末に他界し、美味しく作るコツを教えてもらえないままで、今とてもさみしいです。でも一歩でも近づけるよう頑張っています。 -
父はスイーツ担当。
和菓子職人だった父のおやつは手作りで大好きでした。
40年以上前のことです。
あんドーナツが一押しで
季節に合わせていろんなスイーツを作ってくれました。
夏は水ようかんやコーヒーゼリーで秋は栗きんとん。
おまんじゅうは年中。ただし鬼饅頭だけは母作でした。
休日の昼に作ってくれたチャーハンは人参が固かったけど
お父さんの味って感じで未だに覚えています。 -
それって、おきゅうと??
海草を寒天で固めたような、で思ったんですが、それっておきゅうと??
福岡県ではポピュラーなものらしいです。お父様に聞いてみてね♪もしかして福岡出身の方からいただいたのかもしれないですね~! -
つくし・・・
小学生のころ、学校帰りに田んぼ脇に生えた土筆をたくさん摘んで帰りました。
特にどうしようと考えていたわけでは無く、ただ摘むことが楽しかったのだけど・・・
帰宅後、摘んだ土筆を家に置いて遊びに出かけて戻って来たら・・・
その日ちょうど休みで家に居た父に『バター炒め』にされた土筆がテーブルに乗っていました。
土筆が食べられる物だと知らなかった私は驚きました(笑)
内心は『私のつくしに何するんじゃ~?!』と思いつつ、言葉が出ずに口をぽっかり開けていたと思います(笑)
父はニコニコしながら「いっぱい摘んだな~♪上手いぞ♪食え~」と。
その日、初めて土筆を食べました。美味しかったです(笑)。
今では、土筆も中々見かけないし、見つけても流石に摘む気になれない(衛生面で)ので貴重な体験です。 -
独身が長かった父の手料理はちょっぴり昭和の味
会社から帰って来て、当時子供を産んで忙しかった妹の家に住み込んでいた母の代わりに晩ご飯を作っていた父(引退済み)の手料理が食卓に並びました。
「今夜はビーフシチューだぞ!オレ風だ!」と豪語する父の手づくりシチューには、干し椎茸が…。
「ちょっと冒険して、椎茸入れてみたぞ。ちゃんこ風だ。わはは。」
不味いってことはなかったけど、干し椎茸の食感が、ビーフシチューとは合わないなぁと思いました。
でも、普段はさすがに一人暮らし歴20年なだけあって、卵焼きとか焼きそばとか、シンプルな料理は母より上手でしたね。 -
リンゴジュース
子供の頃に私が風邪をひいて熱を出すといつも擦ったリンゴを絞っただけのジュースを飲ませてくれました。
当時は家のことはすべて母に任せて深夜や明け方まで遊んでいるなんてことがよくありました。
そんな父がいつも風邪の時に限ってリンゴジュースを作ってくれていたので、実は風邪をひくのが楽しみでもありました。 -
卵焼き
なんも料理しない父ですが
卵焼きだけ一回食べたことあります!
でも作り方にこだわりがあって、
卵を混ぜずにやいてぐちゃぐちゃにして
さいごにケチャップをかけて食べるんです笑笑
卵とケチャップの味でしたねww -
フレンチトースト♡
父の味・・・それはフレンチトースト。
食パンを4つに切って作る普通のフレンチトーストですが、甘さはかなり控えめ~
素朴なんだけど、なぜかそれが美味しくて、結婚して家を出た今も、たま~に食べたくなります(*´ω`*)
私の兄弟も同様に、父のフレンチトーストがたまに無性に食べたくなるみたい。
父に「お父さんのフレンチトースト食べたい~」って言うと、にこにこ喜んで作ってくれます☆
父は他に料理全くしないけど、これだけは作ってくれる。自慢の父の料理です! -
父の料理のみで育ちました
戦時中に生まれドライブインを経営していた父の手料理は、都内のレストラン修行中に習ったもの、また、祖母から教わったもの(北海道の郷土料理)が主でした。
その中でも、かぼちゃの水団・塩辛・ジンギスカンのタレ・三平汁・ピラフそして、、、なぜかデザート系ではひとつだけ作ってくれた強力粉で作ったパンケーキ(フォークを入れると、生地の間からメイプルがとろ~り♪)が絶品でした!
自分で炒めご飯を作るとパラパラにならないし、パンケーキなんてぺらっぺらに作らないと成功しないし・・><
来る日も来る日も、朝食・夕飯・弁当を作ってくれた父に感謝です。 -
父が作ってくれた思い出料理
私が小学生の頃、母が仕事で遅くなる日は、必ずカレーライス を作ってくれました^^; 元々料理は、出来なかったみたいですが、何回か作るうちに美味しいカレーライスになりました。若くに逝ってしまった父ですが、自分がカレーライスを作る時、父を思い出します(^^)
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おじいちゃん、でもいいですか?
ちょっとタイトルから外れてしまうかもしれませんが
祖父の料理の方が思い出が多いので…
祖父は結構な"ちょっかい出し"です。
私が小学生の頃、おやつにホットケーキを焼こうと
タネを用意したのまではいいのですが
そこへ暇をもてあました祖父が乱入。
4枚分のタネを一度にフライパンに入れたので
「じいちゃんがやるなら私手を出さないからね!」と
怒って手を引いてみたら
生地が厚い上、強火でガンガン焼いた為
表面が真っ黒焦げな、どでかいホットケーキの出来上がり。
当然美味しくなかったです。
今でもまだ"ちょっかい出し"の性格は変わらないので
最近は「見てていいけど手は出さないでよ!」とクギをさしてます。
(まだ元気なので今後も更に思い出が増える事でしょう)
そんな祖父ですが、本日コンビニのアイスコーヒー
(氷入りのカップを買ってレジ脇のマシンに置き自分で注ぐやつ)の
カップだけ買って帰ってきました。(要はコーヒー無しの氷だけ)
何がしたかったの、おじいちゃん… -
インスタントラーメン
袋入りラーメンを丼にあけてお湯そそいで
鍋のフタでしばらく閉じたものを
「ラーメン出来たで」と食べさせられた思い出があります。
麺は固く芯が残ってダシもしみてませんでしたが、
「お父さんはラーメンの作り方を知らないんだ、これが精一杯の自炊なんだ」と子供ながらに思いやってました。
父は第二次世界大戦前生まれの警察官です? -
調理師なのに・・・
我が家のパパ様は、調理師だけに料理が上手い
何でも美味しいのですが・・・
小学校低学年の頃、私がプリンが大好きだったのでパパ様が私に初めて作ってくれたんです。(職場では良く作ってるらしい。)この時、私はパパ様の作るプリンを初めて食べたんです。
それはそれは・・・激不味‼
このプリンがトラウマになり、その日以来プリンが食べれなくなりました
もう、かれこれ20年以上は食べてないなぁ。というか食べれない -
チャーハン・・・?
母親が風邪でダウンし、父親がごはんを作ってくれた事が2回ほどあります。「今日はフランス料理だよ‼︎」と言われ、出てきたのは、ウスターソースのチャーハン。具は無しです。
2回目は、「今日はスペイン料理だからね‼︎」と。出てきたのは、ケチャップまみれのチャーハン。やはり具無し。
ごく普通のサラリーマンだった父親が、フランス料理だのスペイン料理だの知らなくてもまあ仕方ない事ですが、おかげで私はかなり長い間、ソース味のチャーハンはフランス料理、ケチャップ味のチャーハンはスペイン料理と信じていました(笑)
そんな父親が少し前に「パエリアが食べたいからパエリア鍋欲しい」と、買ってきたそうです。パエリアという名前を学習しただけでも大した成長だと思い、実家に帰った時は父親お手製パエリアを楽しみにしているのですが、一向に作ってくれる気配がありません。母親曰く、「1回作って飽きちゃったみたい」と・・・。その時のパエリアも、ケチャップたっぷりだったそうです。(笑) -
お弁当には・・
お弁当のおかずには、醤油辛い、ねぎたっぷりの卵焼き。
おにぎりは、味噌と砂糖とみりんで味付けをし、これをフライパンに塗り、軽くあぶったものを、
ご飯に混ぜて、おにぎりにしたものです。
お父さんの大好きな、釣りに一緒に出掛ける時は、必ず、用意してくれました。 -
炒飯
母が 出産ので 入院中 父が 多分 初めて
料理してくれた 炒飯 べちゃべちゃの
真っ黒な お醤油味の お世辞にも 美味しくなかった炒飯 そんな 父も 8年前に 他界 まずかったけど、また 父が 作ってくれた 炒飯が 食べたいです? -
上手でなくとも。
ヤバい…泣ける。
父は健在ですが、脳出血で施設に入っています。
私は遠方にいるのでなかなか会いに行けないのが申し訳なく思っています。
母は仕事で帰りが遅く、日曜日は父だけが休みだったので作ってくれましたね。
野菜と卵でいためものとか、焼肉とか…簡単なものでしたが、遅くまで夕食を取れない子供たちを
不憫に思ったのかもしれませんね。
その気持ちを思うと泣けますね。
出来ないなりに何か食べさせようとしてたのでしょう。
もうすこし大きくなるとわたしも作るようになりました。 -
60代の父です
郷土料理、卵焼き、鰹のだしがらのふりかけ、カレー、庭でとれた果物のフレッシュジュース、里芋のバター焼き、ハンバーグをめんどくさがって誕生したひき肉入りの卵焼き(笑)
全部良い思い出ですねー
共働きで、料理するのは女!みたいな抵抗も特になかった父なので朝ごはんも自分で用意したりと色々作ってましたね
レパートリーが少なく、同じものを何回も何年も繰り返し作るので料理のスキルが一品に特化して磨かれていって全部が本当に美味しかったです
