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昔の人の食事はどんな風だったのでしょうか?

季節のものが季節の時にしか手に入らなかった頃、とでもいいましょうか。その昔は、毎日メインに肉や魚はあがっていたのでしょうか。野菜だけの日もあったのでしょうか。それでも栄養は足りていたのでしょうか。一汁三菜とたくさんおかずを作って、たらふく食べて、痩せなきゃとダイエットするこの時代。なんだか贅沢すぎるのじゃないかなーと思ってしまいます。昔の人は、昔の人で満足して、楽しく食事を出来ていたのですよね?違うのかなあ。食材に対する思いや季節感などは、昔の人の方が豊かだったのではないかと想像します。食に対してどんな考えだったのでしょうか?最近は、見た目派手で満腹になる料理よりも、心も満たされる料理が作りたいなと思っています。果たしてそれがどんなものなのか、まだ掴めていないのですが…。何についての質問かわからなくなってきましたが(汗)、子供の頃の話、ご両親などから伝え聞いた話、その他何かお考えなどがあればお聞かせください!
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最新の発言12件 (全12件)

  • とある田舎の一家族の暮らし

    明治生まれの曾祖母の話です。
    だけど、曾祖母のそのまた祖母の話らしいです。
    たぶん江戸後期くらいかな??

    ご飯(白米)と菜っ葉の漬物と味噌汁
    それに大きなカメから煮干し?目刺し?か何かを一人一匹出して食べたらしいです。

    味噌汁の味も今よりずっと薄いらしいです。もちろんダシの味も味噌の味も。具もあまりなく薩摩芋だったか、里芋だったかの茎?か何かの時もあったとか。

    朝昼晩どの食事かも今となっては謎です。
    だけど、毎日のようにそれを食べていたとか。

    釜で炊いたご飯、手作りの味噌…
    ひとつひとつはとても丁寧で美味しいでしょうが、
    美味しい味付けになるぐらいの調味料量はもったいなくて使えない事も。

    飽きたと言っても、何が食べたいと言っても、
    その時にある物しか食べることが出来なかったそうです。

    何でも食べられる良い時代になったなぁといつもありがたがって食事をしていました。特に加工品をたいそうありがたがっていました。豆腐などがそうです。
    たまごも超高級品。砂糖も大事に大事に使い、最後はカメのそこで水あめになっていたそうな。

    小さい頃から昔の話をたくさん聞いていた母曰く、武士の一分は曾祖母(母から見て祖母)の話す昔の生活とかなり近く、よく出来ていると言います。

    今よりも手に入る物の種類は少なく、
    季節、住んでる場所によっても色々食べられない物があるでしょうね。
    豊かに食べ物がない所ももちろん。

    曾祖母の話通りなら、たぶん私はタイムスリップしたら
    季節を感じたり、丁寧な味に感動するとは思いますが、
    それだけでなく、大変な思いをすると感じました。

    今の時代、色々食べ物を食べることが出来る事に感謝しなきゃですね。
    久々に曾祖母の事を色々思い出しました。
    素敵なトピですね Smile

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  • 祖母の話から

    戦中・戦後を生き抜いてきた祖母の話です。

    7人兄弟の長女だった祖母は、今の食生活の事を「毎日が盆と正月のようだ」と言います。
    子供時代、ご飯は玄米にかさましのために大根や芋を入れたものだったそうです。もちろん炊飯器なんてないので、朝その日1日分のご飯を釜で炊いたと。お腹いっぱい食べれることはなかったそうです。

    イナゴなど食用の昆虫を食べる地域に住んでいます。今でこそ珍味扱いされ、買わないと食べれないものですが、当時は当方海なし県の貴重なタンパク質。佃煮にして食べますが、砂糖も手に入りづらい時代、果たしておいしかったのか?は疑問です(^^;)
    食事は楽しむ余裕はなく、生きるためのものだったのではないでしょうか。
    食べ物が足りないからこそ必然性にありがたみを感じ、大切にしたのでしょう。

    季節感を感じながら楽しく食べる、とか食育なんていう「食に対する思い(というか感性?)」だけで言えば、現代の方が豊かかもしれません。
    食を楽しめること、ダイエットなんて出来ることは、贅沢で幸せなことなんだと認識し、せめて身の回りの食べ物を大切にすることで、先人たちに報いれると思っています。

    少しずれますが、今の食育だと子供たちには沢山の栄養をとらせるようにしていますよね。それが理想的なのはわかります。
    でも子供時代に戦後の低栄養に耐えてきた老人達、ものすごく身体が丈夫な気がします。
    私の祖父母、アラナインティですが、ピンピンしてます(^^;)

    飽食の時代に生まれた私たちは果たして90までピンピンしていられるのでしょうか。この先を懸命に生きてみないとわかりませんが。

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  • 納豆

    昔はわらで作ってました。
    私のおばあさんは肉、魚はたべません。唯一食べるのは、鮭のしおびき
    精進料理のかんじですね。
    お肉かわりに、大豆を食べて、日本酒たしなむ
    88歳まで、でも、75歳でくも膜か、病院で初のカレー

    干し物がおおいです。
    切干大根、凍み豆腐、いもがら、凍み大根、で冬を越すようです。

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  • 私の子供の頃の話です...

    山間部の田舎に生まれ育ちました。
    おじいちゃん、おばあちゃんと同居の兼業農家ですが、お米、家で食べる分の野菜を作っていました。松茸の採れる山、筍や椎茸の採れる竹やぶがありました。

    基本その季節の野菜を食べて育ちました。

    春は毎日のように筍やわらびなどの山菜の煮物。
    夏はなすの煮物。きゅうりやちしゃ(サニーレタスの仲間)の酢の物。
    秋は山で取れたキノコ。くり。おやつに柿、いちじく。
    冬は、大根、白菜、ほうれん草など…

    お祝い事などで巻き寿司を作ってもらいましたが、秋・冬・春は私の好きなきゅうりが入ってなく、ほうれん草やセリなどで緑を代用されてちょっと悲しかったくらいで、あとは全然不満はありませんでした。
    そう、きゅうりは今は一年中食べられますが、子供の頃、夏しか食べられませんでした。

    年に何回か天秤はかりを提げた行商の方が来られ、いりこを買い、それで煮物や味噌汁のだしにしていました。
    その行商の方が小イワシを持って来られる事もあり、七輪で焼いて食べた覚えがあります。

    あと、庭で鶏を飼っていました。なので産みたて卵が食べられます。
    その鶏が運悪くキツネなどに襲われた時、その鶏を捌いて食べた事があります。肉はそれぐらいです。牛肉など食べたのは大分後の事です。

    玉ねぎは吊るして、かぼちゃや芋類は納屋や床下に、豆類は大きな壺に入れて保存。
    大根や白菜の漬け物、梅干しは年中ありました。味噌はもちろん手作り。

    豆腐は地域に商店があり、そこに家で採れた大豆を持ち寄り豆腐にこしらえてもらい、安く手に入れられます。

    おくどさんがあり、米は羽釜で炊いていました。美味しかったですよ(^^

    今では考えられない生活ですが、季節感溢れた豊かな時代だったと思います。

    忘れかけていました。素敵な話題ありがとうございました^^

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  • 外国の話ですが。

    国際結婚で、主人の故郷が冷蔵庫もなく、ガスも通じておらず、大きな釜でまきに火をくべてフーフーするあれです。水は井戸水です。
    目の前の川で、朝から主婦は洗濯を始めるような、まるで絵本で見るお話のような光景の場所です。

    タンパク源は、飼っている鶏や鴨を締めたり(怖くて見られません)産みたての卵、子供達が一生懸命に採ってくれた、名前も知らない川魚がおかずになります。
    当然、あたり一面畑なので野菜と果物は毎日売れるほどあります。

    味付けは、塩、醤油、砂糖が基本でさっぱりとしています。
    野菜だけでもおかずの種類はたくさんあります。

    何もないので、お酒も手作りです。美味しいです。
    素材を大事に調理したり、薬にしたり、干したり、穴に埋めたり、漬けたりと保存も色々あって勉強になりますが、帰国して何でも便利にある日本に帰ってくると、昔の人はあのように暮らしていたんだろうなといつも考えさせられて、無駄のない生活をするように心がけています。

    皆様のお祖母様たちのお話に非常によく似ており料理こそ違えど、季節のものを大事に食べていたと言う所は共通していると思います。

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  • 今から70年前~20年前。

    90歳の祖母の話。

    味付けとは
    素材を食べる為のただの手段だから
    さしすせそ以外は無かった。
    (今みたいにマヨネーズやらトマト系や外国の調味料やめんつゆや白だしなんかは無いのが当たり前だし、あれは食材を食べる為のものじゃなく、調味料じたいがおかずだ。)

    米と野菜は畑で作り、

    二匹飼ってた鶏が毎日卵を産む。

    田んぼを耕す為に飼育していた牛が死ぬと

    近所の人たちと分け合って食べる。(鶏も。)

    商店に肉も売ってたが、
    年に一度くらいの特別な日しか買わない。

    商店では油揚げをいつも買っていた。

    田んぼを荒らすイノシシを狩ると
    イノシシの肉を食べる。
    野うさぎはわりと頻繁に狩って食べてた。

    子供(父)の弁当には
    白飯、梅干し、たくあん、うさぎ肉、野菜のおかず
    が定番で
    お金持ちの子の弁当には
    天ぷらやメザシが入っていたそう。


    スーパーで毎月お肉を買うようになったのは
    この20年くらいだそう。

    そんな祖母は
    味噌など手作りです。

    ところてんは
    おやつだと思い砂糖をかけて食べていたそうです。

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  • 私の子供の頃は昔の人の食事?

    特に母の里へ小学生の頃は夏の間中お世話になっていたので、大きな農家の食事は野菜が中心でした。調味料の味噌や醤油はもちろん手作り。沢庵や梅干、山菜の塩漬けは男の仕事。ぬか漬けや浅漬けは女の仕事だったようです。

    越前の海のそばから魚や魚の加工品をお米と交換にくる人々のおかげで食卓は恵まれていました。ヤギの乳はちょっと苦手だったな・・・

    大阪での食事は今とそんなに変わりはありませんでした。(調味料の発達は今はすごい?けどあまり使わない)牛肉や・・・そういえば鯨のおいしいところが食べられた時代でもありました。

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  • 長野県戸隠 宿坊での食事

    期間限定で江戸時代の御膳の再現をしているとHPで知り、
    お盆休みに行きました。

    運よく、戸隠神社でのお神楽も開催中、

    江戸時代は、まだ 醤油が中国から伝わっていないので、
    おそばのつけ汁は味噌味だとか。
    他の料理も質素ですが、すべて土地の恵み、
    丁寧に作られていて、おいしくて満足。

    宿の奥さんが打ったおそばもおいしく、さすが戸隠、
    宿の話だと、前日はお客さんが満室で、
    私たちの泊まった日は、貸し切り状態。
    日中の気温39度を忘れる静かなひと時でした。
    酔って寝てしまい、歩いて行ける距離のお神楽の舞台は見逃してしまった。

    初めて食べた食用ほおずきがおいしくて、
    帰りに売ってる店を聞きました。
    農産物直売所、

    20×25cmのポリ袋にパンパンに入った朝摘みバジル=100円、
    食用ほおずき=200円、

    酸味の無い甘いトマトのような、なぜか?生ハムの深みも少々。
    長野に行ったら ぜひ!

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  • おこめがおおかった

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  • 普通の人は食べることイコール生きることなので幸せではないとおもいます

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  • 苦も意図あり

    拝見させていただき、ありがとうございます。

    今年もあと少しですね~
    今年の干支である羊は、従順で古くから人々の営みに
    欠かせない感謝すべき家畜と言えます。
    肉は元より、血も、乳も、皮も毛も骨までも、
    自分の全てを人の生命活動の糧に捧げます。

    幸福とは我が身は慈悲の心を持ち、正しい行動で世のお役に立つ心掛けに、
    大自然の教えに遵う生き方が出来たか、生き甲斐があったか、
    その結果が自然の報果であり、人の生きるべき道であり、
    人として真の幸福感を持てるものであります。

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  • 私が小さい頃、祖父母と同居だったのでいつも祖父母好みの食事内容でした。
    ほうれん草やとうななどの青菜の茹でたもの、しょっぱいイワシの塩焼など青魚、自家製なす漬けなどのしょっぱい漬物、煮干したっぷりの味噌汁など。濃いめの味でごはんを食べる感じでした。35年以上昔の事ですが、幼稚園児の私には家の食事は美味しくなかったです。

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